あまのじゃくといとしひめ




 ――が大好きだ。
「……なんて、大嫌いだ」
 ほんの少しだけ躊躇った後に政宗が口を開けば、やはり口を吐いて出るのは気持ちとは裏腹の言葉だ。それでもは花がほころぶような笑顔で、愛しげに名前を呼んでくれた。
 ――この世で一番、大好きだ。
「……この世で一番、大嫌いだ」
 私もです、と頷いて同じ心を返してくれるの頬に触れて、そっと抱き寄せる。額を合わせて小さく笑い合い、偽りばかりを紡ぐ口を閉ざしたまま唇を重ねれば、温もりだけではなく心まで伝わる気がした。
 触れては離れ、離れてはまた触れてと繰り返し口づけを交わす。いつもと変わらぬ温もりに安堵するとともに、不意に眠気が訪れて政宗は欠伸をかみ殺した。
 天邪鬼に翻弄された一日は思う以上に気疲れしていたようで、それは朝からずっと傍にいてくれたも一緒だったのだろう。お休みになられますか、と改めて問うも少し眠たげな様子だった。
 夜着に着替え、ともに褥に横になりの頭を腕に乗せる。その小さな頭を抱きこむようにしてゆっくりと髪を梳くと、くすぐったげに吐息をこぼすの瞳がやわらかく細められた。
 ――おやすみ。
「……おはよう」
 政宗の口から出た言葉に、うとうととまどろみかけていた政宗自身もも揃って目を丸くして、それからゆるく苦笑を交わした。どうやら天邪鬼は一日の終わりの挨拶すら満足にさせてはくれないようだ。
 苦笑を微笑みに変えたは、子守唄のように優しい声で、おやすみなさいませ、とささめく。政宗もまた頬をゆるめてに顔を寄せ、額にそっと口づけを落とした。
 ――おやすみ:……


 ふと聞こえた物音に政宗は目を覚ました。障子を透かして入りこむ朝日の眩しさに思わず目を細める。首だけを巡らせて辺りを窺うが、昨夜と異なるのは室内を照らすのが月影か朝日かの違いだけだった。
 夢うつつに、分かったぞ、と溌剌と言う成実の声と、すぱんと軽快に障子が開かれる音を聞いたような気がしたが――夢だったか、と政宗は落胆の息を吐いた。
 わずかに身動いだせいか、政宗の腕枕で眠るが、ん、と小さく声を上げ政宗に身を寄せる。起こしてしまっただろうか、と眉を下げながら、出来るだけ腕を動かさないようにして、仰向けの体勢からへと向き直る。だがその心配は杞憂だったようで、は穏やかな顔で寝息を立てていた。
 ふっと、今度は安堵の息が政宗の口からこぼれ落ちる。
(……良かった)
それはを起こしてしまわなくて良かった、という意味であり、成実が訪れたのが夢で良かった、という意味でもある。先程とは真逆のことを思いながら、政宗は改めての顔を見つめる。
 長いまつげを伏せ、頬をゆるめたの寝顔は、起きている時に見せる表情の中では、やわらかく微笑んでいる時のそれに近い。けれど、やはり眠っているからか、常よりずっとあどけなく、無防備で、
 ――可愛い。
「……っ」
 何も考えず言葉が口を吐いて出そうになり、政宗は咄嗟に自身の口をふさぐ。間一髪で声に出してしまうことは免れたものの、慌てた気配が伝わったのか、はゆっくりとまぶたを震わせた。
 まどろみから覚めきっていないらしいは、まさむねさま、と舌足らずな声で言い、小さく首を傾げながら、手で口を覆う政宗を不思議そうに見る。
 まだ眠らせてやりたい、まだ寝顔を眺めていたい――何より、可愛い、の逆の言葉などにかけたくない、と思ってのことだが、今の政宗にそれを説明するのは非常に困難なことで、曖昧に微笑むのが精一杯だ。
 ――おはよう。
「……おはよう」
 政宗の言葉を受けてふわりと笑んだは、おはようございます、と言いかけて目を丸くした。


、どうしたんだ?」
 突然言葉を切ったに、何かあったのだろうかと心配になり思わず声が出る。
「具合でも悪いのか?」
 重ねて問いかけてもは目を瞬かせるばかりで、政宗は熱でもあるのだろうかと額に手を伸ばす。けれど、その手が額に触れるより早く、の小さな掌が合わせられた。
?」
 困惑しながら名を呼べば、は瞳を輝かせながら、殊更にゆっくりと、おはようございます、と口にした。
「? ああ、おはよ――」
 何気なく、つられたように返しかけて、政宗ははっとした。
「おはようございます、政宗様」
「……おはよう、
 いつも通りの朝の挨拶を交わして、合わせた手の指の輪郭をなぞるようにたどり、絡めて深く結び合う。つないだ手から伝わる温もりは心地好くて、けれどそれだけではまだ足りなくて、華奢な身体を抱き寄せ、抱きしめたままくるりと身体を反転させる。
 仰向けになった政宗の上に乗る形になったが何かを言う前に、頭の後ろに手を添えて唇を重ねた。突然のことに驚いたのかは身を引こうとするが、浮きかけた小さな頭をほんの少しだけ力をこめて撫でてやれば、ひとつふたつと吐息を重ねていくうちに、の身体から力が抜けるのが分かった。
 そっと唇を離し、わずかな距離をおいて見つめ合う。は今にもとろけそうな眼差しで微笑んでいた。その艶めいた表情に惹かれるように再び顔を寄せる。
 けれど、同じ温もりが触れ合うより早く、それよりも少し冷たい指先が唇にそっと添えられた。
「……?」
 口づけを拒むような仕草だが、潤んだ瞳に拒絶の色はない。政宗が小さく首を傾げると、唇に触れた指が輪郭をなぞるように流れていく。甘く快い感覚に政宗の口から吐息がこぼれた。その吐息に、まるで熱いものに触れたかのようには肩を揺らし指を引いた。
「……っ、政宗様の、お声が…聞きたい、です」
「……っ」
 羞じらうように目を伏せて、途切れ途切れにはそう言った。あまりにもささやかな願いをねだられて、胸の奥が甘くうずく。
「……が大好きだ」
「政宗、様……」
「……この世で一番、大好きだ」
「はい……。私も、誰より政宗様が」
 昨夜は逆さまにしか告げられなかった言葉を、昨夜の分、いやそれ以上の想いをこめて囁く。同じ想いを、同じ言葉を返そうとしてくれるがたまらなく愛しくなり、最後まで待てずに言葉を奪った。そうして自ら奪っておきながら、その続きを求めるように唇の内を探る。つなぎ合った手にすがるように力がこめられ、政宗もまた強く握り返した。


「……っは」
 隅々まで触れて、撫でて、もう言葉が隠れる場所などないというほどに暴ききってから、ようやくを解放する。長らく呼吸すら許されなかったは、政宗の上でか細くあえぐ。労わるように頬を撫でながら、無理をさせてしまったかと少し心苦しくなる。けれど、
「……可愛い」
 頬を朱に染め、潤んだ瞳を半ば伏せながら、懸命に呼吸を繰り返す姿に、自然と言葉がこぼれ落ちた。それは本当にかすかな呟きで、上手く聞き取れなかったらしいは、濡れた瞳を政宗に向け、眼差しで問いかけてくる。
「可愛い」
 真っ直ぐにその瞳を見つめ返し、今度ははっきりと言葉にする。心のままに声を出せる喜びに目を細める政宗とは反対に、は大きく目を見開いた。
「笑った顔も可愛いが…」
「…っ」
「照れた顔も可愛い」
「…っ、ま、政宗様…あのっ」
「声が聞きたいと、言ってくれただろう…?」
 制止の言葉を上げかけた唇を、人差し指と言葉でそっと封じこめる。頬どころか顔全体を紅葉のように真っ赤に染め上げたは、羞ずかしさに耐えかねたようにぎゅっと目を瞑った。そのあまりの無防備さに、朝方に見たあどけない寝顔が頭によみがえり、同時にその時感じた想いも胸にあふれてくる。
 唇から頬へ、頬から項へと、撫でるように手で輪郭をたどりながら、そっと囁く。
「……本当に、可愛い」
 ――小十郎や、成実や…誰彼構わず見せびらかしたいほどに。
 もしも今も天邪鬼に憑かれたままだとしたら、そんなことを口走っていただろうか。
 頭の片隅をわずかに過ったそんな思考は、交わる熱の心地好さにあっという間にとけていった。



後書き
 政宗様の『妖し殿の秘めごと・後日談』の後日談を書いてみました。最初はただ天邪鬼に取り憑かれた状態だったら、「おやすみ」を「おはよう」と言うのだろうか?と思ったのが元でした。そしたら書いてるうちに何故かやたらと甘々な展開に…(笑)
 本当は長兄様と末っ子様のオチを考えていたのですが、余裕があればオマケとして書きたいものです。
 タイトルは『うりこひめとあまのじゃく』という昔話から。背景画像の鬼灯の花言葉は、偽り・心の平安・可憐な愛(千成鬼灯)です。

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