殿からの贈り物
〜信幸編〜




 真田家の食事の膳に、彼女の手料理が並ぶようになって十日あまり過ぎた頃、信幸は昔から真田と付き合いのある小間物屋を訪れていた。
「いらっしゃいませ。おや、これは信幸様。今日は如何されましたか?」
「どうも。うん、ちょっと俺の奥さんに贈り物を、と思ってね」
 暖簾をくぐるなりすぐに声をかけられ答えれば、店主である初老の老人は目を皺の中に埋もれさせながら、そうでしたか、とにこやかに頷いた。
「…しかし、店をお間違えではございませんかな? 野菜や魚ならば市で求めるものですぞ」
 からかうように言われ、信幸は特に気にした様子もなく穏やかに苦笑を返した。
 様々な策を巡らせ、少々、いやかなり強引に娶った彼女の憂い顔を晴らしたくて、女性の好む物を贈ったものの、あまり効果は芳しくはなかった。元々京で小料理屋を営んでいた彼女にとっては、華やかな暮らしよりも料理が出来ることの方が余程幸せだったからだ。そうと分かってから彼女への贈り物は必然、着物や花から食材へと変わっていったから店主の言葉は無理らしからぬものだった。
「…うーん。実はこの間、叱られてしまったんだ。いくら何でも買いすぎですって」
「それはそれは」
 実際は叱られたというよりは、困ったように眉を下げ、そっと見上げられながらの言葉だったのだが。その時の可愛らしい様を思い返すとついくすりと笑みがこぼれ、その様子に何となく実態を察したらしい店主は、奥方様も苦労されますな、と小さな声で呟いた。
「というわけで、しばらくは食べられない物にしようと思ってね」
「左様でございますか。では何を……。
 ああ、そういえば先日京より紅を仕入れましてな。聞けば奥方様は京のお出だとか。お贈りになればさぞ喜ばれるのではありませんか?」
「そうだね…。でも、今日は止めておこうかな」
「おや? 奥方様のためにごぼうを百本も用意させた豪気な方とは思えぬお言葉ですな」
「ごぼう百本と京の紅はまったく別物でしょう?」
「確かに。ですが、真田の御曹司様からすればそう大きな差はありますまい」
「確かに。彼女が欲しがってくれるなら幾らでも買って帰るのだけど、ね……」
 いつもながら食えない店主との――傍からすれば耳を疑うような――軽口にも似た会話を楽しみながら、ふと信幸は考えこむように視線を横に流した。
(もし京の物に触れて、里心がついてしまったら?)
 そしてもし、帰りたいと思ってしまったら
(帰せるわけないよね)
 刹那の間もなく胸に浮かんだ答えに、ふっと自嘲にも似た笑みがこぼれた。けれど、己の傲慢さを自覚してもなお、その想いは覆らない。
 ならば、せめて自らに出来るのは、帰りたいと思わせないこと――誰よりも大切にして、誰よりも幸せにすることだ。
「……うん。やっぱり止めておくよ。
 それに、今日何を買うかはもう決めてるからね」
 胸中に渦巻く様々な思惑に蓋をして、信幸は屈託なく品の名を口にした。


 ありがとうございました、という店主の声に見送られ、再び信幸が暖簾をくぐる頃には、辺りはすっかり日が暮れていた。
「遅くなってしまったなぁ」
 夕闇の迫る空を見上げ、雲の端を朱に染める残照に目を細める。店を訪れたのはまだ日の高いうちだったが、ついつい弾んでしまった店主との長話に加え、中々にこれと思う物がなく吟味を重ねた結果だ。けれど、その甲斐あって彼女によく似合う品を求めることが出来た。
(あとは、彼女が気に入ってくれれば良いのだけど…)
 掌に収まるほどの大きさの桐箱の、磨かれた滑らかな表面を撫でて、信幸はゆるく苦笑した。
 間違いなく彼女の趣味に合う物を選べたという自信はある。人の顔色を読むことに長けた自負のある信幸が、ここ半月ほどはその能力のほとんどを彼女のために使っていると言っても過言ではないほどなのだから。
 好きな色、好みそうな意匠――実際に彼女が何を見てその瞳を輝かせたか、その笑顔まで、すべて頭の中に留めてある。だからこそ、
(料理と比べるとどんな物も旗色が悪いんだよねえ)
 けれど、台所に立つようになってから、彼女が憂いを覗かせることが目に見えて減ったのもまた事実だ。
(…うん。少しは勝算あり、かな)
 そんな胸算用とともに、まだ勝ち得てもいない彼女の笑顔が胸に浮かぶ。ただそれだけのことでらしくもなく心が浮き立ち、城へと帰る足を少しだけ速めた。


 秋の日は釣瓶落とし、という言葉通り、遠目に見えていた城の門が近くなる頃には、篝火が焚かれる時刻になっていた。夜になり出てきた雲が月にかかり辺りは暗く、炎とその周りだけが宵闇に浮かび上がる。
(ん? あれは…)
 槍を手に厳めしく立つ門番の隣に、小柄な人影を見つけ、思わず足を止める。赤々と燃える火に照らされ、わずかに赤みがかかっているものの、淡い薄萌黄の着物を纏っているのが見てとれた。それは信幸が平素から好む色であり、初めて彼女に贈った着物の色だ。
「……さん?」
 背丈と合わせて考えても間違えようのないことだが、意外さに首を傾げてしまう。そろそろ夕げが始まろうかという頃、調理はおろか配膳――さらには後片づけ――まで自ら進んで行う彼女にとっては、まだまだ慌ただしい時間のはずだ。にも関わらず、
(……待っててくれたんだね)
 おそらくは配膳の段になってもまだ信幸が帰っていないことを知り、心配になったというところだろうか。まだあちらからは信幸の姿は見えていないようで、遠くに目を凝らす様が窺え、頬がゆるむのを感じた。
 手にしたままの桐箱をそっと袂に落とし、帰りを待つ彼女の許へ何食わぬ顔で歩みを寄せる。少し強い風が吹いて雲が流れ、月が姿を現す。夜風に身をすくませた彼女が顔を上げた時、はっきりと目が合った。
「信幸様っ」
 星のように瞳を輝かせ、彼女が駆け寄ってくる。あと半歩の距離のところで立ち止まった彼女は、少し息を弾ませながら、安堵の混じった微笑みで信幸をまっすぐに見上げた。
「…お帰りなさいませ。信幸様」
「うん。ただいま。
 ……もしかして、待っててくれたのかな?」
 さも驚いたかのように首を傾げて見せれば、羞じらうように彼女は俯いてしまった。わずかに乱れた髪を整えるふりをして、やんわりと頬を撫でてやる。走ったせいか上気した頬は指先に温かい。おずおずと再び合わさった瞳が一度だけ伏せられて、控えめな肯定が返された。
「そう、ありがとう。…ごめんね。夕げの支度が調う頃には帰るつもりだったんだけど、心配をかけてしまったね」
「え、あ、いえ……」
「…心配じゃなかった?」
「いえ…心配、しました」
 わざとらしく声と肩を落とし、望み通りの答えを引き出した信幸は、満足げに微笑んで頷いた。
「…じゃあ、早く帰ろうか。せっかくさんが作ってくれたご飯が、冷めてしまってはもったいないからね」
 そう言って促すように細い肩に手を添えて、信幸はわずかに目を見張った。
(こんなに冷えて……)
 掌に触れた着物は思うよりも冷たく、彼女が外にいた時間を物語る。そうと悟った時、信幸は華奢な身体を抱きしめていた。
「っの、信幸様…っ?」
 突然のことに驚いたのか、門番の目を気にしてか、あるいはその両方か――腕の中に閉じこめた彼女が、上ずった声を上げ小さく身動ぐ。けれど、信幸は腕をゆるめることはせず、やわらかな髪にそっと頬を寄せる。
「……今日は、少し肌寒かったからね」
 頬に触れるそれは、やはりひんやりと冷たかったが、不思議と温もりに満たされた気がした。



後書き
 お読みいただきありがとうございます。
 星夜のあやまちイベの後半組がツボ過ぎてカッとなって書きました第二弾。家康様&三成様配信前にどうしてもアップしておきたくて、取り急ぎ前編として更新しました。
 信幸様の黒さと甘さを両立させることを目標として書きましたが、如何だったでしょうか?
 いつものパターン的に本編配信やイベが間に入るとそっちに夢中になって時間が取れた頃には書く気を失くしている、ということになりそうでしたので、背水の陣的な意味も兼ねています。ちゃんと完結させるように頑張ります。また、後半を執筆するにあたって予告なく内容を変更する可能性があります。
2/14追記 少々体調が思わしくないため続きが大変おそくなってしまいました。最後まで書き上げてからと思っていましたが、ひとまず現在出来ているところまで更新しました。


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