詞紀と空疎の子が産まれてから七日目の夕方。宮では女中たちが忙しなく動き回っていた。主である詞紀が恙無く出産を終えたことを祝うとともに、御子のお披露目をする宴の準備のためだ。皆慌ただしく働きながらも表情はむしろ穏やかで、抑えきれない喜びに目が輝いていた。 誰もが一片の憂いも曇りもなく御子の誕生を祝福している。そのお披露目を心待ちにしているのだ。 すれ違う宮の者たち皆がこれほどまでにただただ喜びに満ちているのは、前の冬の虚との戦い以降――いやもっとずっと遠い昔から――ついぞなかったことだろう。そんなことを思いながら智則は務めを終えて自室へと帰る。 詞紀の子が産まれた。詞紀と、夫である空疎との子だ。 いつかはこんな日が来ると知っていた。けれど、こんな温かな気持ちでこの日を迎えるとは思ってもみなかった。 詞紀は今とても幸せで、これからもずっと夫とともに子を育て、幸せに老いていくのだ。こんなに喜ばしいことはきっとない。 その想いを抱いたまま目を閉じると、瞼の裏に映るのは幸せそうに笑う、大切は少女の顔。緩く口許に笑みを浮かべた智則の耳に、全ての感慨を粉々に粉砕せんとする騒々しい足音が届いた。 「智則! そろそろ広間に行かないか!!」 逸る気持ちのままに幼馴染の部屋を訪ねた秋房は、冷やかな眼差しに迎えられたじろいだ。 「な、何だよ!? お七夜は夕方からのはずだろ!?」 「正確には宵の口からだ。まだ日は沈み始めたばかりだぞ」 「沈み始めたばかりって言ったって、今の時期ならあっという間じゃないか、なら…」 「馬鹿。それでも早過ぎる。今のこのこと広間に行ってみろ。邪魔だ、と女中たちに蹴り出されるのが関の山だ」 ぐ、と秋房は言葉に詰まった。実は一刻ほど前に待ち切れず広間の前をうろうろしていた時に、まだ準備はすんでおりませんのでどうぞ余所でお待ち下さい、と追い返されたのだ。そう言って微笑む女中の目は決して笑ってはいなかった。ついでに言うと支度が済みましたら呼びに参りますのでご安心下さい――つまりはそれまでは来るな、と暗に言われていた。 「け、けどな…! 姫様の一の家臣として誰より先にお祝い申し上げたいと思うのは仕方ないじゃないか!! お前だってそうだろ、智則!?」 秋房の魂の叫びに智則は静かに頷いた。なら、と勢い込んだ秋房を妨げるようにだがな、と智則は首を横に振ってみせた。 「どんなに早く行こうが、姫たちが来られるのは準備が整ってからだ。 それにな、秋房」 そこで智則は一旦言葉を切った。その真剣な眼差しに思わず唾を呑み、秋房は居住まいを正して言葉を待つ。 「あんまり聞き分けがないと、お前の膳だけ梅干し尽くしになるぞ」 「………………」 半刻ほど後、約束通り女中が呼びに来た時、秋房はまことに神妙な顔で座して待っていたという。 その夜、季封宮で祝いの宴が開かれた。詞紀と空疎の子と、その名を披露するための宴だ。 真っ白な衣に身を包み、その腕に赤子を抱いた詞紀と、彼女を支えるように寄り添う空疎の姿は、とても温かで夫婦の絆、いや、深い家族の情が感じられた。皆の前に立った詞紀の、ふようという娘の名を告げる声は優しく、空疎が示した芙蓉と名を記した字は常の如く流麗で、常よりずっとやわらかだった。 名の披露が終わればいよいよ宴の始まりだ。皆の一番の楽しみは食べることや呑むこと、ではなく言祝ぎを贈ることだ。とは言え皆で一斉に押しかけなどすれば赤子は驚き泣き出してしまうかも知れない。一人もしくは二人ずつ、かつ先を争いなどして姫様方を困らせることなど絶対になきよう、と女中たちから念を押されている。事前の協議――刀を抜く者がいたり、狐火が無数に宙に浮かび上がったりした状況を協議と呼べるかは微妙だが――の結果、詞紀の幼馴染であり季封の民の代表でもある秋房と智則が一番手となった。 「お、おめでとうございます!! 姫様…っ」 「姫、空疎殿、無事に御子がお生まれになったこと、季封の民を代表してお祝い申し上げます」 秋房の大きな声と、智則の落ち着いた声が広間に響く。その後感極まったらしい秋房が男泣きを始めると、智則は呆れ顔でその首根っこを引きずりながら下がっていった。 そのまま二人が席に戻るのと入れ替わりに幻灯火は席を立ち、詞紀たちのもとへ向かう。 「詞紀、空疎。紅稜院の子供たちにお前たちの子のことを話しても良いだろうか?」 幻灯火らしい素朴な言祝ぎを告げ、詞紀の腕の中で眠る赤子――芙蓉の寝顔を興味深そうに見つめた後で幻灯火はそう尋ねた。子供たちからせがまれたのだと続いた言葉に、詞紀は一度目をしばたたせ空疎と顔を見合わせる。 明日の朝にでも、二人の間に産まれた子供が娘であったことや芙蓉と名付けたことは季封中に触れを出す予定だ。本当は今夜にでもと思ったが、お七夜が終わってからでは少し遅い時間になるからと明朝に延ばしたのだ。だから―― 「はい、勿論構いません」 「我らの娘の愛らしさを童らに存分に言って聞かせるがいい。我が妻に似て強く、そして美しくなるに違いないとな」 「く、空疎様…っ」 「うむ、玉依姫によく似たとても可愛らしい赤子だったと伝えるつもりだ」 「幻灯火様まで…」 臆面もなく芙蓉を褒め称える二人に、詞紀は顔を赤くして俯いた。腕の中ですやすやと眠る我が子は、ふっくらとしたやわらかな頬に、椛のような小さな手を握りしめた様がとても可愛らしい。詞紀だとて、親の欲目と言われてしまうだろうが、この世で最も愛らしい赤子だと思う。 けれど、口を揃えて自分に似てと言われ褒められては、そうと思ったことさえ恥ずかしくなってくる。しかも幻灯火は勿論のこと空疎にもからかう意図などなく、本心からの言葉だと分かる分尚更だ。少しでもからかいが含まれていれば、からかわないで下さい、と怒った振りをして言うことも出来るのに。 「こ、子供たちが喜んでくれると良いんですが…っ」 あまりの身の置き所のなさに咄嗟に口にした言葉に、幻灯火はきっと喜ぶに違いない、と頷いた。 「それに、子供らの喧嘩も止むことだろう」 「え…? 喧嘩、ですか?」 「狐、何の話だ?」 のんびりと続けられた、けれど決して穏やかとは言えない喧嘩という言葉に、詞紀は俯いた顔を上げ、空疎も眉をひそめて幻灯火に問いかけた。 「む…ああ、喧嘩とはいえ他愛もないものだ。お前たちが心配するようなものではない」 「ですが…」 「だから気にするな、と言われようと我らに関わりのあることなのであろう? 我が妻がいつまでも気にかけて身体に障りがあっても困る。他愛もないというのならなおのこと。話せ」 「……分かった。 そもそもの始まりは玉依姫の子が女か男か、どちらだろうかという話だったのだ。女の子供であれば花輪飾りの作り方を教えてあげるのだと女子たちは言い、男の子供であれば一緒に釣りをするのだと男子たちは張り切っていた」 それまでは良かった。だが、そのうちにきっと女の子だ、いいや絶対に男の子だと言い出す者も現れ、互いに譲らず仕舞には喧嘩になってしまったのだと幻灯火は語った。 「まぁ…」 詞紀は困ったように眉尻を下げ、 「まったく…童というのは」 空疎は呆れたように片眉を跳ね上げた。 そんな二人に幻灯火は微かな笑みを零し、詞紀は小首を傾げる。 「幻灯火様?」 「何を笑っている、狐よ」 「…きっと、お前たちと同じ理由だろう」 そう言って再び笑った後で、幻灯火はそういえばと何かを思い出したように首を傾げた。 「偶然通りかかった宮の者が子供たちを宥めてくれたのだが……。 あんなに仲睦まじい夫婦なのだから、きっとたくさんの子を授かるだろう、だから御子が女の子か男の子かで喧嘩をすることはない、とな」 どういう意味だろうか、と二人を見ればなぜか詞紀は再び顔を俯け、空疎は違いない、と満足げに頷いていた。 「姫さん、鴉、おめでとさん…っとぉ?」 片手を軽く上げつつ言った祝いの言葉は尻上がりになった。 「おーい、姫さん。どうした?」 詞紀がいたたまれないといった様子で身を縮こませて俯いていたからだ。下ろしたままの髪の隙間から覗く耳は真っ赤になっていた。 「えっ、あ、はいっ。あ、ありがとうございますっ」 はっとしたように詞紀が顔を上げ、慌てて祝辞への礼を述べた。その顔も耳と同様に赤く、まるで茹でた蛸のようだ。ちらりと空疎の方を見ればこちらは涼しい顔で何やら愉快げに口許を歪ませている。 「……姫さんも気の毒にな」 「何か言ったか、蛇?」 いったい何があったのか、興味がありかなしかで言えばありだが、それを今ここで詮索するのは、底意地の悪い夫を持ってしまった可哀想な妻が気の毒過ぎるし、それを素直に口にしてしまえば、父になったというのに大人げない男から吹き飛ばされそうだ。歴戦の兵としての勘がそう告げ、胡土前は素早くそれに従うことにした。 「いーや、何も」 おそらくこの件には直前までその場にいた幻灯火が関わっているはずだ。後で、詞紀がいない時にでも探りを入れてみよう。尤も幻灯火のことだ、腹芸など必要なく――というか通じない――直球で訊けば直球で答えるだろう。 空疎にはあんまり姫さんをいじめてやるなよと言おうかとも思ったが、言ったところで自分の妻をどうしようと夫の勝手だ、と返されるだけではっきり言って無駄なので放っておくことにする。馬の耳ならぬ、鴉の耳に念仏だ。 「おい、貴様。何か無礼なことを考えなかったか」 「いいや、何にも」 もう一度、今度は諸手を上げて首を横に振ってみせた。 「で、どれどれ……。 おー、なんつーか…ちっさい姫さんって感じだなぁ」 詞紀の腕の中に収まった小さな赤子を覗き込み可愛い可愛いと頷けば、詞紀が今にも消え入りそうな微かな声でありがとうございますと呟き、空疎がしたり顔で何を当然のことを、と満更でもない様子で言う。 「ああそうだ。蛇よ、少し我が娘から離れろ」 「ん? ああ、安心しろよ。俺は秋房みたいに大騒ぎはしねえぞ。そんぐらいの分別はあるぜ。起こしちまったら可哀想だし、驚かせて泣かしちまうのも嫌だからな」 「阿呆が、誰がそのようなことを許すか。僅かでもそのような素振りを見せれば、即座に我が風術にて吹き飛ばしてくれる」 「空疎様…!」 さり気なさの欠片もなく堂々と脅し文句を吐く夫を窘めるように詞紀が名を呼ぶ。けれど、空疎は素知らぬ顔でさらに続ける。 「もう一度言うぞ、蛇。我が娘から離れろ。 貴様の粗暴さをその子に移す訳にはいかぬからな」 「へーえ…」 胡土前が低く声を漏らす。 空疎の口が悪いのはいつものことだし、この一見すると喧嘩のように見える遣り取りもただじゃれ合っているだけだ――と思いたい。そんな願いと赤子を胸に抱いた詞紀がはらはらと二人を見守る中で、胡土前が口を開いた。 「よーしよし、ちっさい姫さんは性格も姫さんに似るんだぞ」 間違っても鴉には似てくれるなよ、と詞紀の腕の中で眠る芙蓉に言い聞かせる胡土前は実に素晴らしい、良い笑顔だった。 「古嗣様、この度はまことにありがとうございました」 華やかな笑みを添え如才ない言祝ぎを述べた古嗣に、詞紀は子を抱いたまま出来うる限り深く頭を下げた。遠く京から来てくれたこと、そして無事に子が産まれるようにと祈祷してくれたことへの深い感謝の念だ。隣で空疎も礼の代わりのように神妙な顔で目を閉じ頷いた。 「顔を上げてくれないかい、お姫様。美しい姫君と小さな姫君の顔をどうかよく見せて欲しい」 「…………っ」 「ほう…」 如何にも古嗣らしい言葉に、詞紀は恥ずかしげに身じろぎをし、空疎は不機嫌そうに声を漏らすが、古嗣はさして気に留めた様子もなく祈祷の礼だというのならそれが何よりの礼だよ、とうそぶいてみせる。しばらくその飄々とした様を憎々しげに睨んでいた空疎はふとひとつ息を吐き、妻の名を呼んだ。 「詞紀」 「…はい」 優しい声に背中を押されるように顔を上げ、古嗣によく見えるようにと、芙蓉をそっと傾ける。無垢と呼ぶに相応しい小さな寝顔に、古嗣は優しく目を細めた。 「……うん、本当に君に似た愛らしい子だね。皆が口々に褒め称えるのも頷ける。きっと将来はその名の通り、花のように美しい姫君になるに違いない。よろしくね、芙蓉姫」 流れる水のように淀みなく紡がれる賛美の言葉に俯きたくなる衝動を堪え、頬を朱に染めながらも詞紀は微笑みを浮かべた。自分のことを引き合いに出されるのはやはり気恥ずかしいものがあるが、普段から女性――すでに空疎の妻である詞紀にすら――への美辞麗句を欠かさない古嗣の言葉となると多少の慣れもあるせいかどうにか耐えられそうだ。だが耐え難いのは―― 「当たり前だろう。我と我が妻の子だぞ。強く美しくなるに決まっている。我が妻に……ん? 何だ、詞紀。具合でも悪いのか?」 「いえ、袖に塵がついておられましたので……」 詞紀はそう答えて、いつの間にかすっかり機嫌を直した空疎の袖を引いた手を離した。人前では言われ慣れていない、夫からの褒め言葉を皆まで言われてはこれ以上はとても耐えきれそうにない。常ならば驚くほどに察しのよい――詞紀が自身ですら気付いていない想いさえも汲んでくれる――空疎だが、生憎と子の誕生に浮かれた今はそうもいかないらしい。それほどまでに喜んでくれていることがとても嬉しくて、同時にとても恥ずかしい。穴があったら迷いなく入りたいほどだ。 一方、そんな夫婦の遣り取りを、若干忘れ去られているような気がしながらも微笑ましく見守っていた古嗣が不意に咳払いをひとつした。 「こほん…君たちに、何より小さなお姫様に贈り物があるのだけれど、今渡しても構わないかな?」 言いながら隠し持っていた蒔絵箱をそっと床に置き、詞紀の前に差し出した。煌びやかな蒔絵の施された箱は詞紀の腕に一抱えもありそうな立派な物だった。先ほどまでは空手に見えたのに。その疑問は空疎の言葉が晴らしてくれる。 「何をこそこそと隠しているかと思えば…」 幻術だ、と耳打ちした空疎が詞紀の腕から芙蓉を優しく奪い取り、しっかりと抱きながら蒔絵箱を顎で示した。促されるままに箱と古嗣に向き直り、ありがとうございますと床に手を着いた。 「……あの、開けてみてもよろしいでしょうか?」 「勿論。僕としても君の喜ぶ顔を是非目の前で見たいからね」 悪戯げな笑顔に微苦笑を返し、詞紀は丁寧に紐を解きそっと蓋を開けた。 「…まあっ」 「…ほう」 詞紀と空疎の口から、それぞれに感嘆の息が漏れた。艶やかな漆の黒の中に、淡い桃色の布が収まっていた。ひと目見ただけでとても高価だと分かるそれを、詞紀はまるで我が子を抱くように丁寧な仕種でそっと箱から取り上げた。 端然と巻かれた布を膝の上に広げ掌で撫でるとさらりとした肌触りが心地好く、裏地はふわりとやわらかで優しい風合いだ。 「空疎様っ、見て下さい。ほら…っ」 「ああ……我が娘の愛らしさが、より一層引き立つな」 「…ええ、ええ……!」 空疎の腕に抱かれた芙蓉に布を当ててみた詞紀は、目を輝かせながら空疎の言葉に何度も頷いた。 薄紅や縹、萌黄の色で大小様々な手鞠が描かれた布地は彩りも豊かで雅やかだ。これで産着を仕立てたのなら女の子らしい華やかなものが出来るに違いない。 「最初は産着を贈ろうかとも思っていたのだけれど、産まれる前に仕立てるのはあまり良くないと女房たちから言われてね」 気に入ってもらえたかな、と問いかけた古嗣への答えは、いつになくはしゃいだ様子の二人と、頬に触れる布の肌触りをお気に召したらしい赤子が寝ながらに浮かべた笑みだった。 詞紀が感激に涙ぐみながら改めて古嗣への礼を言い終えたのを見計らったように、女中が床の準備が出来たことを伝えに来た。詞紀は大層名残を惜しんでいたが、今朝方床を払ったばかりなのだから無理をするな、御子のためにもお早めにお休み下さい、と夫と女中から重ねて言われ頷いたのだった。 詞紀が芙蓉を抱いた空疎に伴われ宴を辞して早半刻、その背を温かく見送った五人は今は非常に賑やかに杯を酌み交わしていた。 「姫様っ、あんなにお幸せそうで…っ」 「ああ、そうだな」 「芙蓉様もとてもお可愛らしかった……っ」 「おお、確かにな」 「………空疎…っ、何て…何て………っ」 「何て、なんだい?」 「何て羨ましいヤツなんだ! あんなにもお美しくてお優しい姫様を妻にして、あんなにも愛くるしい御子が娘だなんて…っ。むしろ羨ましいを通り越して恨めしい!!」 「うむ、全く同意見だ。気が合うな、秋房」 この日のためにと用意されたとっておきの酒で早くも酔った秋房の叫びに、智則と胡土前と古嗣は宥めるように適当に相槌を打ち、唯一幻灯火だけが力強く頷いた。 すっかり出来あがった幼馴染を横目に見ながら、やはり詞紀たちがいる間は乾杯の一杯のみと自重しておいて良かった、と智則は思った。そもそも今ここにいる面々は酒が入ると大概気持ち良く酔っ払い羽目を外し過ぎる嫌いがあるのだ。秋房は普段の数倍喧しくなるし、胡土前と古嗣はほいほいと気軽に術を披露しまくるし、元より掴みどころのない幻灯火は智則をしてその一瞬後すら見通すことが出来なくなる。そんなことを考えながら杯を口に運ぶ智則とて、自分のことは棚上げしているが酔えば説教魔へと変貌する。 「幻灯火のヤツも相変わらずだなぁ、おい。 大体お前よぉ、姫さんに何言ったんだ?」 「む? 私は玉依姫とその子への本心からの祝福を述べただけだが…なぜそのようなことを訊くのだ、胡土前よ?」 「んー…なんつーか姫さんな、今にも泣きそうな――」 「「っ何だと!?」」 ――ぐらい真っ赤だったんだよ、と続けようとした言葉は二人分の大声に遮られた。 「幻灯火っ! 貴様いったい姫様に何を言った!? このようなめでたい席で、いやいついかなる時だろうと姫様を泣かせるなど許されると思っているのかっ!!」 秋房はありもしない刀に手をかけるような動作をしながら幻灯火を問い詰め、 「全くその通りだ、秋房! ……胡土前よ、いったい私の言った言葉の何が玉依姫を悲しませてしまったというのだ……っ!?」 幻灯火は身を斬られるような悲痛な表情で悲嘆にくれながら手にしたちまきを握りしめ、中から勢いよく餡が飛び出した。 「いや俺が知るかよ……。っつーか訊いてんのは俺だっての」 呆れたように呟いた胡土前が助けを求めるように智則の方を見るが、当の智則はその視線をさらりと横に流した。 「そう言えば古嗣殿。空疎殿からはどのような文が届いたのですか?」 「おや? 興味があるのかい、智則」 「ええ、まあ。あの空疎殿が人へ頼みごとをするなど滅多にあることではありませんので」 いや、本当はあちらの騒ぎに巻き込まれないなら話題は何でも良いのだが。偶々空疎が古嗣に祈祷の件を文で頼んだことを思い出しただけだ。そう思いながらも頷くと、君もいい性格をしてるなぁ古嗣は呟いた。 「まあいいか……。ほら、これが件の空疎からの文だよ」 「…まさかお持ちとは」 「祝いの酒の肴にどうかなと思ってね」 友則は少なからず驚きながら、古嗣が懐から取り出してみせた文を受け取る。あなたも相当いい性格をしていますね、と返して手にした文を広げると、執務の折によく目にする、見慣れた流麗な文字が綴られていた。 「…………」 まずは宛名、時候の挨拶。 改めて、子がこの冬に産まれることの報せ。 その後に続いた文に込められた想いを詳らかにするならば―― 「これは……まるで脅し、ですね」 ――我が妻と我が子のため、祈祷をしに来い。さもなくば…… 無論書かれていることは一見すれば常識的な内容なのだが、そんな意図が明け透けて見えるようだ。 「恋情は人を狂わせる、とはよく言ったものだけど……。 愛情、殊に親から子への情は人のみならずカミすら愚かにする、と言ったところかな?」 苦笑して古嗣は少し前に空になっていた智則の杯に酒を注ぐ。智則は礼を言ってひと息に酒をあおり、呑み干した。 大切に思い続けた少女の夫の書いた、妻子のための文を肴に呑む酒は少し苦く、とても美味かった。 後書き 拍手コメントにて芙蓉の話は続くのですか?というとても嬉しいお言葉を頂いたのが嬉しくて書き上げました。ありがとうございます。 back |