葛の裏風





 つまりは、からかわれていたのだ。
 空疎の隣を歩きながら、恨めしげな視線を送り続ける。相変わらず詞紀の物言いたげな瞳など、なんら痛痒を感じていない様子だったが、それでもじっと見つめ続けた。というよりも、先程不用意に目を逸らしてしまったせいでとても性質の悪いからかいを受けたのだ。同じ轍を踏みたくない一心だった。
「詞紀、いい加減我を睨むのは止めたらどうだ。我らは何のためにこうして歩いている?」
「視察のためです。人伝では分からぬ季封の現状を直に見て知るためだと、空疎様が仰ったのではありませんか」
 そう、空疎が詞紀を抱き上げ誘ったのは季封宮の門戸だった。状況が呑み込めず呆然とする詞紀に沓を履かせ門へ向かう途中、ようやく本当の目的を詞紀に聞かせたのだった。
 からかわれていた。そうと悟った時、思わず座り込んでしまうのではないかというぐらい安堵した。が、空疎の実に愉快げな表情を見れば、いくら相手が敬愛する夫だろうと、思うところも生まれようというものだ。有り体に言えば、腹が立った。
 そのような訳で詞紀は空疎を睨みながら、空疎はあくまでも素知らぬ顔で、視察という名目の散歩をしていた。
「その通りだ。確かに文官たちが纏めた報告に目を通すことも大事だが、こうして直に触れることもまた長の努めであろう」
 また、民の暮らしを気に掛けていることを目に見える形で示し、長の健勝な姿を見せることも人心の安定に繋がる、とも続けた。
 詞紀がまだほんの童であった頃から、季封の長となるよう定められていたように、空疎もまた一族を担うべく育ったのだと、聞いたことがある。それ故に季封を治めていく上でも、詞紀が空疎から教わり導かれることも多いのだが、今回ばかりは素直に頷くことは出来なかった。
「だというのに、貴様はどうにも不服らしいな」
 詞紀の雄弁な眼差しに笑みを噛み殺しながら、それとも、と声を低めて言葉を継ぐ。
「あのまま室に残り、続きをすることが我が妻の望みだったか?」
「…空疎様、そのような大変紛らわしい物言いはお止め下さい」
 空疎が如何にも意味ありげに囁いた続きというのは、単に書を読むのを続けるという意味でしかないのだ。よくよく考えれば、公私の区別をしっかりとつけている空疎が、務めの最中に本当にそのようなことをしようとする筈がない。あれは丁度午後の休息の時間に二人きりになったから。ただの戯れに過ぎないのだ。
 言い聞かせるように胸中で呟く。そう思わなければ心臓が持ちそうにない上に、今こうして隣を歩くことにも耐えられそうにない。
 懸命に己を落ち着けようと努力しているのだろう詞紀が、押し殺したような声で答えるのがまた面白く、空疎はまた喉の奥で笑った。怒っている、と全身で主張する様は、仔猫が恐々としながらも毛を逆立てて威嚇する姿にも似ていて、愛らしいとすら思えた。尤も、それを詞紀に言う気はないが。
 というよりも、もし伝えたならば詞紀は益々怒り、そして顔を朱くすることだろう。
 正直に言えば、見てみたいという気もする。が、これ以上機嫌を損ね、務めに障りが出ても困る。今ですら僅かなきっかけで逃げ出しそうな顔をしている。このままでは戻っても空疎と二人のみの室内で務めを果たすなど出来そうにない。
 もう一度、詞紀の様子を窺う。こちらを睨む顔に、かつての人形のような面影はない。そのことと、怒りというよりも恥じらい故に染まった頬に満足げに頷き、空疎は詞紀から視線を外す。
 夫を見つめるのに忙しい妻に代わり、季封の視察をしなければならないし、宮に戻るまでに妻の機嫌を直しておく必要もあるだろう。
 中々に骨が折れそうだ、と空疎はそっと目を細めた。



後書き
 空疎様、反省の色もありませんね(笑)
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