暁雨





薄く目を開くとまだ昇りきらない朝日が目を灼く。
いつの間に眠ってしまったのだろう。
眠りに就く時の記憶はいつもなく、眠りに落ちる前の記憶は曖昧なものだ。
まずは周囲を見渡して現状を把握しようと、寄り掛かっていた頭を持ち上げようとして止まる。
己の顔のすぐ近くに別の人の顔がある。
それも性の異なる者の。
「…ぁ!」
口から悲鳴じみた声が出ようとするのを咄嗟に手で止める。
(目を覚まされてしまう…)
五回瞬きをする間じっと見つめる。
(…眉を顰められた御様子もないようですし、大丈夫でしょうか。
ああ、でも本当に御綺麗な方…噂通りに)
六度目の瞬きをして、酷く不躾なことをしている自分に気付き慌てて身を引き顔を背けた。
頬が熱く熱を持っている気がする。
急に動いたせいで肩から羽織が落ちる。
(…これは?)
微かに首を傾げながら拾い上げる。
薄い水色の羽織、背には家紋が付いている。
「ふふ…」
笑い声を零して羽織を軽く払い、そっと持ち主の肩に掛ける。
そうして昨夜ここを訪れた時の様に足音を殺しながら離れる。
五歩程進んだ所で躊躇う様に振り返る。
朝のまだ暖められていない風が吹き、さっきまでは暖かかった肩に背に寒気が走る。
朝の風でこの冷たさなら、冷えきった夜風はもっと酷かったろう。
(私に羽織を掛けて下さった…初陣で誰より身を厭わねばならない方だというのに)
彼にとっては正体の知れぬ怪しい女に。
(何か御礼を)
だが自分の顔を見られる訳にはいかない。
(それでも何か)
そもそも自分は三味線の演奏に対しても何も報いてはいない。
(…そうです)
思い付きもう五歩下がって扇を手にする。
いつも持ち歩いている舞いのための扇だ。
扇を目前に掲げて、ゆっくりと開く。
(せめて初陣の言祝ぎに)
起こしてはならないから初陣に相応しい勇ましいものではないけれど。
その舞すら見せるわけにはいかないので、天に祈る様に。
(ああ…この曲は)
舞を舞うとき、いつも心に楽の音が響く。
演奏があればその音が、なければ自分が心惹かれた音が。
(昨夜の、この方の音)
自分をここまで導いた音。
その音を響かせながら、その音の中を舞う。
曲の終わり間際になって思う。
(最後の音はどんな音色だったのでしょうか)
顔の前に開いた扇を掲げ、終わりを告げる様閉じる。想像の最後の一音が胸に響いた。
扇をしまい、離れた距離をまた静かに歩み寄る。
(御見せする事は叶いませんが、これが今の私に出来る返礼です。
到底足りぬとは思いますが、今はこれで御容赦下さい。…そして、どうか)
「どうか御武運を」
舞っていた時よりも強くそう願い、言葉にする。
「すみません」
演奏を邪魔してしまったこと、寒い思いをさせてしまったこと…偽りばかり口にしたこと。
「長宗我部元親様」
(私ばかりが名を知り、名乗れないこと)
深く頭を下げて今度こそ振り返らずこの場から離れた。


朝日が昇っていく中、歩きながら思い返す。昨夜の会話を。
「初陣の前夜は何をして過ごされましたか?」
「あんたは信じないかも知れないが…明日が初陣だ」
「……………え?」
「この歳で、と疑う気持ち分からないでもないが。嘘ではない」
思わぬ驚きに固まっていると苦笑混じりに言われた。
「いいえ!!その、とても落ち着いていらっしゃるのでとても初陣とは思えずに!」
「気を使う必要はない」
「いいえ…むしろ羨ましいと、そう思います。
私などもう六年も前に初陣を迎えたというのに、
弟達が戦へ行くというだけでこうも落ち着かないのです。
とても羨ましいです」
「単なる歳の功だろう」
(年齢など)
関係ございません、と言おうとした矢先に言葉が続けられた。
「或いは戦を知らぬから平静でいられるだけだ。
あんたはその恐ろしさを知っているからこそ、
そして何より弟達が大切だからこそ恐怖しているのだろう。
ならば俺を羨む事はない」
「…ありがとうございます」
その言葉に本心からそう言った。
このやり取りで知ってしまった。
長宗我部方の陣とそう遠くはない場所で、自分より年長であり明日が初陣という人物。
長宗我部元親。
そう、知ってしまった。
その人が弾く三味線の音の美しさを。
その人の他者を労る優しい心を。
その人が言った父と重なる言葉を。
「…きかなければ良かった」
聴かなければ、訊かなければ。
知らずにいられた、聞かずにいられた。
感情の昂ぶりが抑えられず駆け出した。
走って走って、供の者が待つ場所に帰り着く。
「…姫様!?」
「今までどちらへ!?」
一晩行方知れずだった主の姿に安堵する二人の声をかき消す様に鬨の声が上がる。
「始まりましたね」
「姫様は如何されますか?お顔の色が悪い様ですが…」
未だ整わぬ息を落ち着かせようとする。一人の従者が呟き、もう一人は問い掛けて来る。
「見届けます」
皆まで言わせずに告げる。
「姫若子と呼ばれる長宗我部元親殿の戦を!」
それこそが役目。
長宗我部氏の嫡男が主君たる安芸国虎を脅かす程の器か、見極める。
(この様な言葉を口にする私が御武運を、など…)
「…ふふ」
その矛盾に笑い声が零れた。







2話目にして未だに主人公の名前が出て来ません。
夢小説と銘打つのが詐欺の様な気がする今日この頃です。
読んで下さっている 様に申し訳ないです…

この話は私にしては珍しく、1日で書き終わりました。
最後の辺りは知恵熱を出しながら(笑)


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