銀箭





怒声、悲鳴、矢が風を切る、刃の打ち合う音がする。
遠く、遠くには昨夜逢ったばかりの人がいる。
今は騎乗し、三味線の代わりに槍を手にしている。
思わず扇を強く握り締めていた自分に気付き苦笑した。
(私は戦をしに来たのではないでしょう?
私は見極める為だけに来たのでしょう?)
姫若子殿。
家臣達さえもそう呼ぶ若者。
幼少の頃は色白く、猛将と言われる長宗我部国親の嫡子とは思えない程大人しかったという。
長宗我部元親という人について調べればその様な話ばかりが目立つ。
(その真偽を確かめ、国虎様に御報告する為でしょう)
土佐国は四つの大名によって分けられている。
西部に一条氏、中央には本山氏と長宗我部氏、そして東部に自分が仕えたる安芸氏。
今のところ、長宗我部氏と安芸氏が争うことはないがそれは中央が平定されるまでの事。
長宗我部氏か本山氏かは知れないが、その覇者がいずれは安芸氏と領土と命の奪い合いになる。
それが主君、安芸国虎の、土佐に住まう者の考えだ。
(それは間違いようのないこと…
そしてその備えとして)
考えながらもずっと目で追っていた人が槍を振るう。
鮮やかなその一閃に敵兵が倒れる。
(…そう、敵を知ろうとすることは大事です)
敵、元親が斬ったのは敵。そして彼の人の器を探ろうとする自身も敵。
元親の連れている手勢は五十騎程だが主の武勇を見て奮い立ったのか、本山方に猛攻を仕掛ける。
それを支えきれずに敵兵は後退を始める。
その動きの中に狼狽を見て取って、護衛として残っていた従者が呟く。
「姫若子だと侮っていた分、動揺も酷いでしょう…
我らもあれを見なければ油断していたやも知れません。
弟君達の初陣に行かれず、姫自らこちらに来られただけの価値はありました」
弟、という言葉に今まで元親の姿を捉えて外されなかった視線が一瞬定まらなくなる。
「ふふ…秋彦も鷹幸も私など必要ありません。
それに共に出陣したとしても、きっと華々しい初陣に陰りを落としてしまうでしょう」
その事を微塵も疑っていないという調子で笑う。
「それは…そのようなことは…!」
些か意地の悪い言い方になってしまったと、従者に申し訳なさを感じる。
当主である弟と彼女の間にある溝については従者は何も口を出す事は出来ない。
ましてやその溝の原因は自分にあるのだから尚更だ。
(これでは彼も気まずいでしょう…城に帰ったら従者から外して貰わなければ)
決して従者に非があった訳ではない事を説明した上で。
(いつもの事なので心配はないでしょうけれど)
「あら…?」
別事を考えている内に、本山勢は総崩れになり敗走し始めた。
それは予測していた為疑問に思う事ではないが、逃げた方角の問題だ。
「……どうやら、勝敗は決した様ですね。長宗我部元親殿の武、侮れません」
「ええ、ですが…」
(この長浜面の近くには、本山方の塩江城がある筈…
でも兵達はそれより遠い朝倉城へ逃げている
……何かあるのでしょうか)
「何か、気掛かりな事でも?」
「…いいえ」
(あります)
相反する答えが口と心から返る。
だがそれは自分が口に出す事ではない。
あの場に立っているのが大切な弟達なら、今すぐ駆けて行き考えを伝えるのだが状況が違う。
元親と自分は何の繋がりもない。
敢えて関係性を言うなら遠くない未来に刃を交える事になる、敵だ。
そう思いながらも駆け出しそうになる己を抑える様に扇を掴む手に力を込める。
(そう、それに元親様の側には僅か五十騎程…もし考え違いならとてつもなく危険な事に)
不意に元親が塩江城を示す。側近達に動揺が広がるのを見て不安に駆られる。
「何を!?」
抱いた危惧そのままに単騎で駆け出す。
思わず驚きの声を上げ、手を強く握り締める。舞の為の繊細な造りの扇の骨が軋んで悲鳴を上げた。
指笛で馬を呼ぶ。
「貴方は戻って他の者と一緒に待っていて下さい!
他の馬では追い付く事は出来ませんから!」
駆けて来る愛馬にそのまま飛び乗り慌てる従者に指示を下す。
「私は見届けて来ます!!」
長宗我部元親という人を。


槍を振るう手を止め、逃げて行く敵兵の向かう先を見据える。
「流石は国親様の御子です!」
「逃げた敵を追いましょうぞ!」
「否、士気が高いとはいえ寡兵だ深追いはしない。だが…」
未だ意気高く、些か興奮気味の側近達にそう告げ敵が避けて行った方角を見る。
敵方の塩江城の方角。
右腕を水平に上げ、指で城を指し示す。
その腕は今まで槍を振るって来たという疲労を感じさせず、揺らぎもしない。
「塩江城を落とす」
大声だった訳でもないが、不思議と側近達が聞き漏らす事はなかった。
「元親様!?」
「今から城攻めとは無謀過ぎます!!」
「何卒御考え直しを!」
「そうか…では」
馬から降りた側近達に口々に諫められ、腕を降ろす。その様を見て安堵の息を吐こうとして主に見事に裏切られる。
「では俺が行こう」
言って馬に鞭を当て勢いよく駆け出した。
元親の眼前に城が近付く。騎乗していなかった家臣達は中々元親に追い付く事が出来ずにいる。
(…俺の考えが誤っていればまずい事になるな)
まずい事どころでなく命の危機にすらなり兼ねないが、焦燥に駆られることはない。
不意に左右から殺気を感じる。
「…伏兵か」
素早く右に目をやれば、木に背中を預け、弓を構える本山の兵の姿。
一人のところを見ると足を怪我し、取り残された兵なのやも知れない。
文字通り一矢報いんとしている。
そして左には。
「……何故」
信じがたいという響きの声が零れる。
(何故あんたがここにいる?)
戦を観ているだろうとは思っていたが、これ程近くにいる必要はない。
(何故家や主君に逆らってまで俺に矢を向ける?)
一条氏か安芸氏か、どちらかの者だと予測はしている。
味方ではないのだと、いずれかは相対することになる敵だと。
だが今は、長宗我部と本山が拮抗する今はどちらの者にせよ直接に介入してくる筈はない。
両氏はあわよくば中央の共倒れを狙っているからだ。
(迂闊に手を出せば巻き込まれる、故に軽率な行動は取らぬ様命じられている筈だ)
そう考えていた。
右で構える本山の雑兵など忘れて、白馬に騎乗し殺気を向ける女を睨む。
知らず歯を食いしばり、口内に血の味が広がる。
(だというのに何故)
「あんたが!?」
叫び、己が名も知らぬ事を思い出す。
「元親様!」
殺気を研ぎ澄まし、弦を引き絞りながら、応える様に女が名を呼ぶ。
「跳んで下さい!!」
叫び一瞬の後に女が矢を放つ。
四つの脚を地から離し、高く跳ぶ馬の下を二本の矢が過ぎる。
「…っぐぁっ!!」
右から雑兵の悲鳴が聞こえた。
その声がした方を見ようともせずに、女の方に馬首を向ける。
「長宗我部元親様」
それを制する様に名を呼ぶ。殺気など微塵もなくただ静かに穏やかに。
「先の行動、貴方に恩を売るつもりはありません。
ですが私の役割を分かっておられるなら、どうか御忘れ下さい」
弓を手から離し、手綱からも手を離し言う。
その手で元親を狙った弓手を射、その顔を元親に晒している。
今の言葉で女が自分が予測した通りの者で、自分がそれに勘付いているのを知った上で助けた事を知る。
「すまんな、礼を言う」
それだけ言って、女に背を向ける。
「ありがとうございます。馬上から失礼とは思いますが…」
その声から五つ程数えると蹄の音が遠ざかる。
(律義だな…俺も馬に乗ったままなのだから気にせずともよいのだが)
恐らくはあの後頭を下げていたのではないだろうか。
「…う」
呻き声に顔を上げれば、男の肩に矢が刺さっている。
その矢は命までは奪ってはいないらしく、兵は新たな矢を番えようとする。
(捨て置く事は出来ないか)
一気に馬で駆け、男の眼前に立ち槍を払い手の中の弓矢を奪う。
「うぁ…!くそっ!!」
懐から小刀を取り出し切っ先を未だ馬上の元親に向ける。
当然、刃は届かないが男の眼は未だ鋭さを失わない。
「上等だ…おい貴様、我らに降れ」
声は荒げることなく静かに、だが確かな威圧をもって言う。
その鋭さに男は小刀を捨て、肩を押さえながら頭を下げた。
降した兵から塩江城城主謀反を聞き、無傷で塩江城を手にする。
こうして長宗我部元親は初陣を終える。
彼は数々のものを手にし、一つのものを捨てる。
姫若子という呼び名を。

粗方の処理を済ませて、供も連れずに城を離れる。
行く先は女が現れ、矢を射った所だ。
当然、女の姿はない。だが、
「…これは」
壊れた舞扇を拾い上げる。
強い力が込められたのか、骨組が折れている。
布で包んで懐にしまい、牽いてきた馬に乗る。
扇にはほんの僅かだが、血が滲んでいた。







…3話目になりましたが、未だに主人公の名前が出て来ません。
いい加減にしようよと自分に言いたくなる今日この頃です…
そしてこの話も半日ほどで書きあげました。
おお、奇跡だ〜!としか言い様がありません。
未だかつてないほど早いペースです。

でも今回は歴史の本にあったことを好き勝手に脚色して書いたので早いのは当たり前ですかね…
公証はせず思い込んだまま書き進む!!←ああ最低だ…
前半元親の悪口めいたことを書いてしまいましたが、浅葱は元親が大好きです!!!
中途半端に資料を読んでいるんですが、そこで思うことが一つ。
う〜ん、しかし姫若子とか大人しかったっていうは分かるんですけど、何故必ず『
色白』っていう記述があるんでしょうね。


<次回予告>←筆不精&無計画な自分を追い込むために(笑)
第四話こそ、元親に主人公の名前を教えます!!
あ、これじゃただの選手宣誓だ…


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